このコーナーでは、健太郎先生が思いついたことをあれこれ書いていきます。日記というほど毎日更新はできないかもしれませんが、ときどき覗いてみてくださいね。
書こうかよそうか迷ったのですが、やはり彼の思い出として書いておこうと思います。
Tくんが教室にやってきたのは小学校5年生の初めのことでした。生まれつき臓器に疾患があるとのことで、水疱瘡などに罹ると大変なことになるので、そうした生徒がいるときには注意をして下さいとのことでした。
小学校のときは算数と国語、中学のときは数学と英語の学習を続け、成績も順調でした。ところが中3になる頃から体調がすぐれず、ときに調整のために入院をしたりして、教室に来ても息が苦しそうな様子が見てとれました。
それでも根が明るいTくんは授業を楽しんでくれていて、私も彼の授業を担当するのが楽しみでした。
中3の12月に、体調のことを考えて単位制の高校に進むことを決め、入院のためにしばらく教室を休み、高校生になったらまた4月から教室に通ってくれることになっていました。ところが、ある日教室の電話が鳴り、Tくんが亡くなったことを知らされました。まったく予想をしていなかったことなので、このことをどう受け入れていいのかわかりませんでした。
Tくんの告別式のとき、読経の代わりにかけられたのが、Radwimpsというグループの「正解」という曲でした。グループ名も知らなかったし、初めて聴く曲でした。Tくんが好きだった歌とのことでした。その曲の最後の歌詞は以下のとおりです。
制限時間は あなたのこれからの人生
解答用紙は あなたのこれからの人生
答え合わせのときに 私はもういない
だから 採点基準は あなたのこれからの人生
この歌を聴くと涙が流れます。
昨日からTVのニュースで、自衛隊の射撃場での悲惨な発砲事件が盛んに報道されています。この事件を聞いて思い出したことがあります。それは、私がアメリカの大学院で学んでいるとき、一度だけライフルを撃つことになったときのことです。
その日は、哲学の教授の家に招待されて皆で歓談していたときのこと。どこかでパーン、パーンと聞き慣れない音がするので耳を澄ましていると、教授が「心配はいらない。近くに射撃場があるので、そこからの音だ。こちらに弾が飛んでくることはない」と言ったので、こちらも何か言葉を返さなければと思い「そうなんですか。私はこれまで一度も銃を撃ったことがありません」と返すと、教授が奥に入っていき、ライフルを持って戻ってきました。
「ほら、庭のあそこに向けて撃ってみなさい」と言うんですね。私が戸惑って目が点になっていると、「ペンシルバニア州の法律では、自分の土地の中なら銃を撃っていいことになっている」というので、テラスから、暖炉用に積まれた薪の山に向かって引き金を引きました。以外に反動は少なく、パーンという乾いた音がしました。
撃った後、私がライフルをどうしたものかと戸惑っていると、近くにいたアメリカ人の学生が、私からライフルを受け取り、慣れた手つきでガチャリと二つに折って、中にそれ以上銃弾が込められていないことを確かめると、近くで興味津々でライフルを見ていた社会人学生の10歳くらいの子どもにライフルを渡してやりました。
私が驚いたのは、近くにいたアメリカ人の学生が、銃の取り扱い方を知っていたことです。後にわかったのは、彼以外にも、学生寮の知り合いの学生が、休みの日に狩りを楽しんでいたりと、銃が身近な社会であるということでした。まあ、日本でも狩りを楽しむ人たちはいますが、隣の学生がライフルの取り扱い方を知っているというのは驚きでした。
11月6日(日)に、信州の松本市で「武器よさらば記念日」の立ち上げの会が行われました。左の写真の人が、この会の発起人、信州大学の人文学部名誉教授で、松本大学初代学長の中野和朗先生です。中野先生は、私の学生時代の独文の恩師で、今年89歳になられました。
先生の挨拶の後、現松本大学学長で、元松本市長の菅谷昭(すげのやあきら)先生が、基調講演を行いました。
菅谷先生は、信州大学医学部出身ですが、ウクライナのチェルノービリ原発の事故の後、ベラルーシで被爆した患者さんたちの治療にあたりました。
この会の趣旨は、けっきょく武器をなくさない限り戦争はなくらない、ならば武器をなくすことを世界に呼びかけようじゃないか、というもの。
もちろん、ロシアがウクライナに侵攻している今、武器をなくすなんて絵空事じゃないかと思われる人も大勢いると思いますが、私が思うには、戦争のためにしっかり武器を備えろという人たちだけで世界が成り立っていたら、それこそ恐ろしい世の中だと思うんですね。たとえ絵空事でも「この世から武器をなくそう!」と本気で叫ぶような人たちが世界にいてくれるほうが健全な世の中なのではないでしょうか?そういう意味で私も今回の「武器よさらば記念日」立ち上げの会の末席に座らせていただきました。
ネットを覗いていたら、ランドセルの広告が出てきて、その値段がなんと67100円!でした。最近高いとは聞いていたんですが、そんなに高くなってるの!って驚きですね。
私が小学校に入学したときに買ってもらったランドセルは、たしか5000円以下だったように記憶しています。ところがね、これって当時でも相当安物でした。私の家は母子家庭だったので、お金がなかったんですね。私が通っていたのは、千代田区立麹町小学校というんですが、ここはハイソな学校で、小学校なのにクラスの半数くらいが、いわゆる越境入学組で、学区外から通ってくる、けっこういいとこの子供達でした。
それで、彼らが背負っているランドセルは、革がピカピカの1万円以上するようなやつで、私のは、革に一杯シワの入ったしょぼいやつだったんです。それで、子供ながらにその質の違いがはっきりわかり、嫌だなあ、ボクのって安物だなあと感じたものです。まあ、それでも他にしようがないので、そのランドセルで6年間通いました。
中学生になって、カバンの規定がなくなり、普通の手提げカバンで通えるようになったとき、嬉しかったのを覚えています。中学だとスポーツバッグみたのが流行っていて、これだとそんなに高くないので、私の家庭でも買えたんですね。
ちょっと懐かしくなってそんなことを思い出しました。
先日、4月3日(日)にウクライナ戦争反対の抗議行動で、六本木近くのロシア大使館にデモに行ってきました。
行く前のイメージでは、数は少ないものの数十人の人がいて、一緒に「戦争やめろ!」「プーチンやめろ!」と大声をあげるつもりだったのですが、雨降りとはいえ、その時間にそこにいたのは私一人だけ。
大勢の警察官に取り囲まれながら、ただ一人で大声で叫んできました。一人だけで休む間もなく叫び続けるのにはけっこうエネルギーが必要で、たった数分で息切れしてしまいました。
今回こうしたデモを行ったのは実に40年振りでした。大学生のとき、国立大学の学費値上げ反対ストを打ち、街頭デモを行って以来のことでした。私は知り合いがウクライナにもロシアにもいます。今回のプーチンの残虐な戦争犯罪にはどうしても我慢ができません。これからも自分の出来る範囲で活動を行って行きたいと思います。
人間の技術の発展(人間の頭の良さ)について、ときどき驚かされることがあります。農業に関して千歯扱き(せんばこき)という原始的な脱穀機が発明されたのが江戸時代(1700年頃)と聞いたときには、え、こんな単純な機械が発明されたのは、やっと江戸時代になってからだったのと、逆の意味で驚いたことを覚えています。これくらいのものなら弥生時代に作られていてもよさそうだと感じたものです。
しかし、先日知って驚いたことがあります。それは、地球の大きさが実に2300年も前のギリシャで知られていたということでした。え、2300年も前にどうやって地球の大きさがわかったの、と本当に驚きました。
日本で有名なのは、日本地図を江戸時代に作った伊能忠敬で、彼が地図を作ることになった動機は、地球の大きさを知りたかったから、という話もあります。彼はどうやって測ったかというと、二つの地点で北極星の見える角度を測り、例えば、仮に江戸と北海道でその角度が1度ずれていれば、江戸と北海道の間の距離を360倍したものが地球一周の距離と予測できるということでした。彼が予測した地球一周の距離は39960kmで、実際の距離40000km(観測地点で数十キロのずれがあります)とわずか40kmの誤差しかありませんでした。
しかし、さらに驚くことに、2300年も前のギリシャで、それを予測していた人がいるんですね。それはエラトステネスという学者で、太陽から注ぐ光の角度のズレをもとに計算して、およそ46250kmと予測してたとのこと。その計測方法はある意味単純で、中学の数学の平行線の同位角をもとにして、2地点でのおそらくは同時刻の光の角度を計測したことにより割り出した数字だそうです。場所は現在のエジプトのシエネとアレクサンドリアで7.2度の角度差があり、両地点の距離が約925kmということから計算したそうです。この二つの数値からどうやって計算してかは、みなさんもうおわかりですよね?
うーん、人間ってほんとに頭が良いんだなあと驚きます。
友人が作った能面を教室に飾りました。「髭景清(ひげかげきよ)」といいます。藤原景清、実在した人物ですが、平家の武将で源平合戦で戦った後、乞食となり盲目となった、というのが能の世界でのお話しです。
作者である友人、鈴木秀起のことをちょっと書いておくと、彼は東京大学で博士号を取った後、アメリカに渡り、バイオテクノロジーの技術を活かしていくつかの大学を渡り歩き、その後、関節の病気の治療薬を開発するベンチャー企業を立ち上げて研究に取り組んだのですが、これは残念ながら上手くいかず、現在は能面や家具を製作したりしています。本気で彫刻のプロになるというので、「売ってもいい」第一号作品ができたら私が買うということになっていました。教室の壁になかなかしっくりと溶け込んでいるようです。
鈴木とは若い頃、同じ山岳会で岩登りの際にザイルを結び合っていました。山でザイルを結び合うというのは、互いに命を預け合うということを意味します。あれから何十年も経過しましたが、友情は変わりなく続いています。
ある男子高校生のお話し。彼は物静かなタイプで、自分からはほとんど口を開きません。高校では中学のときから続けている剣道部に所属していて、しかし、あるときから髪の毛を伸ばし始めたんですね。それが半端な伸ばし方ではなく、次第に肩まで届くようになり、ええ、これって剣道の面をするのに鬱陶しくないのかなあ、特に夏なんて暑くてたまらないだろうなあ、なんて思っていたある日のこと、教室に現われた彼を見て驚きました。髪をバッサリ切って、ほとんど坊主刈りになっているんですね。
「えっ、いったいどうした? 何か心境の変化でもあったのか?」
と尋ねると、病気で髪の毛を失った人のために、髪の毛を寄付したというんです。ヘアー・ドーネーションとでもいうんでしょうか?
無口でほとんどしゃべらない彼ですが、このときはちょっと彼を見る目を変えましたね。なかなか偉い奴じゃないですか。生徒たちは、私が思っているよりもいろいろ深く考えて生きているのかもしれないと感じた出来事でした。
普段はあまり合格者一人一人については書かないのですが、今回はいつにも増して嬉しいのでついつい書いてしまいます。というのは、私が卒業した大学の後輩が生まれたからです。高校受験のときにソフィアに来て、所沢高校に合格したR.O.くんですが、高校2年のときにソフィアに戻ってきました。そのR.O.くんが信州大学の理学部に合格しました。
受験での勝因は、秋に行われた研究授業型1次試験に参加したこと。事前に相談を受けたとき、ぜひ参加するようにと勧めました。9名の参加者があり、R.O.くんは3名の1次合格者の中に入ることができ、共通テストでの優遇措置を受けることができました。
ソフィアから信州大学を受けた生徒は初めてですが、私の後輩ができてとても嬉しく思います。
先週末、第1回の全国共通テストが行われました。記述式解答や英検その他の英語検定テストを導入するかどうかで一時期だいぶ揉めて受験生に不安を与えましたが、ソフィアからの受験生は、それほどの動揺なく、淡々と試験に臨んでくれたようです。
某国立大学志望のO君は、自己採点ではありますが、どうやら合格点に達している模様。結果発表が楽しみです!
先日、最後のセンター試験が実施されました。来年からは共通テストと名称が変更されるようですが、かつて私が受験したときの名称は「共通一次テスト」でした。私はその記念すべき第1回目の受験生です。当時は受験者全員が、5教科7科目1000点満点のテストを受けなければなりませんでした。そのための準備はけっこうハードなものがあり、日々の学習は効率的に行わないとこなしきれないので、数学を90分勉強した次は英語を60分、次は物理を90分、政治経済を60分、科学を90分、古文を60分というように、理系と文系の科目を交互に組み合わせて勉強したものです。理系科目を連続でやると頭がオーバーヒートするので、文系科目は冷却水のような役割をしている感じでした。
やっているときは必死でしたが、今から思えば、高校で身につけるべきいろいろな分野の基礎的な知識を幅広く学べたことは、以後の人生でそれなりに役に立ったような気がします。
そこで何とか大学に合格できたわけですが、当時の国立大学の学費は年間144000円でした。うろ覚えの記憶ですが、早稲田大学の学費は500000円くらいだったと思います。私の家は母子家庭でお金がなかったので、500000円というのはとても払える額ではありませんでした。そして国立大学に入ってみると、学費免除制度というのがけっこう充実していて、入学のときに支払った72000円と、何故か途中で一度だけ免除にならなかった72000円の合計144000円が4年間で支払った授業料ということになります。この頃は国にも余裕があり、現在のように世知辛さは感じられませんでした。
更に、私はドイツ文学を学んだのですが、当時は独文・独語学の全学生合せて17、8人のところに、正教授が5人いました。実に、学生3~4人に対して1人教授がいたんですね。ですから、1つの授業の学生は多くても6~7人、少ないと2人といったくらいでした。とても恵まれていたと思います。但し、原文講読のような授業になると、もし予習をしていかないと、90分間針のむしろに座らされているようなものでした。
ところが現在、私の母校の独文・独語学の正教授は1人、非常勤が1~2人、学生は25人くらいいるようです。授業料も50万円を超えています。
授業の質はともかくとして、教授対生徒の数と授業料の関係からだけ言えば、明らかに教育の質は低下していると言わざるを得ません。これから国立大学が向かう方向性が心配になります。
知り合いのある私立大学の大学の教授から、AO入試の配点を聞く機会がありましたので、ここに掲載しておきます。
Ⅰ.事前提出課題(筆記)
①エントリーシート 10点
②事前課題 30点
(課題に関して自分で調べてレポートを書く。参考文献は書籍が重視され、インターネット等で調べたものはあまり重視されない。)
③小論文 20点
(誤字脱字に注意。エントリーシート、事前課題も同様。)
計60点
Ⅱ.口頭試験
④プレゼンテーション 20点
(事前課題の内容をプレゼンテーションする。あらかじめ論点をホワイトボードに書くなど、整理されたわかりやすい発表が高い評価を受ける。)
⑤面接 20点
計40点
合計100点
「しろばんば」のゆかりの地を訪ねる旅に出かけてきました。伊豆の湯ヶ島がその舞台です。左の写真は、主人公の洪作少年とおぬい婆さんが住んでいた土蔵の跡に立てられた記念碑。土蔵が取り壊されてしまっていたのはちょっと残念です。
しかし、洪作少年の憧れの人、ヒロインのさき子が住んでいた「上の家」は、まだそのまま残っていました。馬車の停車場なども空き地のままになっていて、「しろばんば」の世界の香りを感じることができました。
湯ヶ島というのは伊豆半島のちょうど真ん中あたりに位置する小さな温泉街です。「しろばんば」の作者、井上靖先生が執筆のためによく泊まっていた「白壁」という旅館に泊まったのですが、ここのご主人は、子供の頃に井上靖に直接会っていて、いろいろな話を聞かせてもらうことができました。
湯ヶ島の人たちはみな親切で、「しろばんば」の世界をちょっとばかり垣間見ることのできた楽しい旅でした。
みなさん、井上靖が書いた「しろばんば」をご存知でしょうか?一時代前なら誰もが知っていた、子供の世界を描いた小説の代表作とも言うべき作品です。
私は井上靖の作品は、登山小説の「氷壁」や、旧制中学の生徒の主人公が柔道のために四高(しこう:現在の金沢大学の前身)を目指す「北の海」などは読んでいたのですが、代表作とも言うべき名作との評判の高い「しろばんば」は、子供向けの小説との先入見があって、ずっと読まずに来てしまいました。しかし、少し前に、私立高校の入試問題に使われた「しろばんば」に関連する短編の「深い深い雪の中で」という作品を読んでいるうちに、ふと打たれるものがあり、早速ネットで注文をして読んでみました。
そして、わずか2、30ページを読んだだけで、なぜこの小説が名作と謳われてきたかがわかりました。それは、ある意味「真実の子供の世界」が生き生きと描かれた作品だったからです。
高校入試問題などを読んでいると、いわゆる少年小説や子供が中心的な役割を果たす多くの作品に出逢います。そのそれぞれは面白くていい作品なのですが、ほとんどすべてに共通することは、それらの物語が作者の「頭の中で」作られているなあ、ということです。面白くてためにはなるけれど、それらは大人の頭と心で作り上げられたものとの印象を拭い去ることができません。
しかし、「しろばんば」に描かれた、洪作少年(彼の8~12歳くらいまでを描いている)の目を通して見た世界は、正に子供の目を通した世界がそこにみずみずしく展開しているといった感じなんです。言い換えれば子供の真実の世界と言ったらいいかもしれません。
舞台は伊豆の湯ヶ島を中心に描かれていて、それまで馬車が唯一の公共交通機関であり、やっとバスの路線が敷かれるという古い時代のお話なのですが、時代はだいぶ異なるものの、私自身は自分の子供の頃に見ていた世界と感覚的にはまったく同じものを感じながら、だいぶ長い分厚い小説を夢中になって読み通すことができました。
登場人物は、土蔵に一緒に暮らすおぬい婆さん(複雑すぎて洪作とおぬい婆さんの関係を一言で説明することはできません)や、近くに住む「上の家」のさき子など、個性的で魅力のある人たちです。さき子は洪作の母、七重の妹、つまりは洪作の叔母にあたるのですが、まるで漱石の「三四郎」に出てくる美禰子(みねこ)を思わせるような、きりりとした魅力的な女性として描かれています。
内容的には子供の日常が描かれているだけで、何か大きなできごとがあるわけではないのですが、それでも面白くてぐいぐい引き込まれていきます。私がいくら筆を傾けても本編の雰囲気を伝えることはできないので、みなさんも実際に作品を手にとってみてください。「しろばんば」は、間違いなく日本文学における金字塔の一つであると思います。
今日は佳子様の卒業式。左の写真はTVから持ってきたんですが、角帽とガウンがよくお似合いでした。それで私も昔、似たような格好をしたことがあるので、思い出し、下に自分の大学院卒業のことをちょっと書きますね。
今日、佳子様がICUを卒業されたとのこと、おめでとうございます!
で、佳子様の卒業に「カコつけて」私の卒業写真もアップしてしまいます。何しろ、私の卒業なんて誰も注目してくれないので、こんなときでないとお話できませんからね。
私が卒業しているのは、信州大学の人文学部とアメリカのペンシルバニア州立インディアナ大学英語学部大学院の修士課程です。左の写真は、その卒業式で大学の学長から卒業証書を授与されたところ。
アメリカ以前にもドイツとオーストリアの大学への留学経験はあったものの、インディアナ大学(通称IUP)での2年間は本当に大変でした。卒業できることが決まったときは、「ああ、やっと終わったかあ」という感じで、床にへなへなと座り込みたい気分でした。
卒業式の当日、6月で暑い日だったのですが、証書の授与を待つ間、あまりの緊張感に2度もトイレに行ってしまったほどです。しかし、今ではあの辛かった日々も、懐かしいいい思い出となっています。
最近テレビで「消えた天才」という番組をやっていて、面白いのでよく見ます。で、私自身も思い当たる天才がいたので、ネットで検索してみました。
私は東京都の千代田区立麹町小学校ということろに通っていたのですが、そのときクラスに二人の「天才」とおぼしき友達がいました。KくんとIさんです。Kくんは知能指数が180もあり、Iさんもそれに匹敵する知能指数だと言われていました。
Kくんは小学校3年のときに大人と同等に漢字が読めました。確か3年のときだったと思うのですが、Kくんが担任のM先生と意見が合わず、授業中に先生と激しい論争になったことがあります。そのとき、私の隣に座っていたIさんが、二人の論争を「Kくんの言っていることは、ここは正しいが、ここが間違っている」みたいに解説してくれたことを今でも覚えています。
で、その後Kくんは名門の私立M中学に進学し、Iさんは私と同じ公立の麹町中学に進学し、中学2年のときにも一緒のクラスになりました。Iさんは筑波大学付属高校に進学しました。そして更に、Kくんは名古屋大学の医学部に、Iさんはハーバード大学に進学しています。
で、二人の名前を漢字やアルファベットでネットで検索してみたんですね。そしたら、Kくんのほうは、英語の論文がいくつか出てきて、あまりにも専門的な内容で私には何の論文かわかりませんが、医者か研究者になったことは間違いないようです。しかし、教授とかプロフェッサーとかの肩書きが出てこないので、現在どこに所属しているのかわかりません。
一方、Iさんのほうは、結婚したらしく名字が変わっていましたが、現在、京都大学の大学院で教授をしていることがわかりました。初めから研究生活を送っていたのではなく、いくつかの国際機関での仕事を経て、京大の教授になったようです。女性の社会進出が研究テーマの一つのようです。
二人とはもう何十年も会っていないのですが、さすがという感じですね。二人ともそれぞれの分野で活躍している様子です。
最後に二人にまつわるエピソードを付け加えておきます。Kくんとは隣同士の席になったことがあるんですが、Kくんは親切で、テストのときに私に答えが見えるように書いてくれました。そのときの私の成績は上がりました。中学2年でIさんと再び同じクラスになったとき、テストの際にカンニングしているのを見てしまいました。へーぇ、こんなに頭がいい人もカンニングするんだ、というのが正直な印象でした。カンニングしていたことを本人に告げると泣かれてしまい、困ったことを覚えています。
毎日暑くてまいりますね。今年の暑さは半端ではありません。TVでは連日熱中症に対する注意が呼びかけられていますが、みなさん熱中症になったことはありますか?
私はあります。記憶する限りでは2回なりました。
1回目は、まだ20代の頃。登山が好きだったので、北アルプスの山々を縦走しようと思って、長野県の安曇野の有明山を経て常念岳の肩の小屋に向かって登っているとき、暑くて暑くて調子がおかしくなって来たんですね。それでも熱中症なんて言葉は知らなかったので、ヘトヘトになりながらもそのまま登り続けて、何とか肩の小屋にたどり着きました。ここがその日の宿泊地で、野営場にテントを張って泊まる予定でした。
私はそのとき大学時代の先輩と後輩と一緒にいたのですが、私がリーダー的な役割を務めていたので、なんとかそこまでは頑張ってきたものの、ついにその場でしゃがみ込んでしまいました。体が重くてだるくて意識が少し朦朧としていました。と、そこへ、健太郎さん、これ、と言って後輩が差し出してくれたのが、山の雪渓で冷やされた冷たいビールでした。こんな状態でビールなんか飲んで大丈夫かなと思いつつ、そのビールをごくごくと飲むと、あーら不思議、一気に目の前が明るくなり、体がずいぶん楽になりました。
山道を登っている途中、あまり水を飲んだら良くないと思い、十分水分を採らなかったことが原因だと思います。
二回目は、それからだいぶ後、オーストリアのウィーン大学に留学しているときのことでした。夏休みを利用して長い旅に出ている途中のイタリアのローマでのこと。
とても暑い夏で、バチカンのサンピエトロ寺院を見学している頃から暑さでクラクラ来ていたのですが、胃腸のあまり強くない私は、あまり冷たいものを飲み過ぎるとお腹をこわすと思って、水分を採るのを控えめにしていたんですね。街のそこかしこで凍らせたペットボトルを売っているのですが、本当に清潔な水なのかどうか、疑いを持っていたので、そういう水をがぶ飲みするのをためらったということもあります。
ローマの街中から少し郊外にアッピア街道という、古代ローマの街道があるのですが、入る日陰もなく真上から照りつける太陽の下をフラフラしながら歩いていました。夕方になってローマ市内の安ホテルに戻って来たのですが、体が重くて気分が悪く、そのままベッドに倒れ込むように横になりました。喉が渇いて渇いて、2リットルのペットボトルの水をほとんど全部飲んでしまったのですが、それでも一晩トイレに行かずにすんでしまったくらいです。なんとか夜中過ぎに体調が回復してきましたが、このときは下手をしたら病院のお世話になってもおかしくないくらいの状態でした。
まあ、いずれの場合も十分に水分を採らなかったことが原因と思います。みなさんも気をつけてくださいね。
皆さん「東大王」ってご存知ですか?最近毎週ではありませんが、けっこう日曜日の夜7時頃からやっているクイズ番組です。東大生で絶対王者の水上、伊沢、鶴崎の3人に、最近紅一点の鈴木光ちゃんが加わって、4人で芸能人のチームとクイズの解答を競います。
私はこの番組が好きで毎回見ているのですが、何が面白いかというと、クイズに滅法強い東大三羽カラスの「無駄に旺盛な知識欲」なんですね。さすがに私も人生けっこう長く生きてきたので、一般常識だとそこそこ太刀打ちできるんですが、世界の国の名前や国旗をほとんど知っているとか、変な生物や植物の名前を知っているとか、変な漢字や熟語の読みや意味を知っているとか、フツーの人では覚える気にならないようなことまで、彼らは良く知っている。たぶん、そんなつまらないことでも彼らはついついどんどん調べてしまうような無駄なエネルギーを満載していて、そんな無駄なことにも情熱を注げるわけですから、おそらく、本業のことになったらフツーの人では太刀打ちできないほどのエネルギーと集中力を発揮するのだと思います。
私がサラリーマンをしていた頃、周囲に東大卒の社員が何人かいましたが、この人たち意外にアホヤナアーなんて思う反面、うーん、この人たちにはカナワンワーと思ったことは、彼らは会社からやれと命令が下ったことに関して、私が「コンナン、アホラシクテ、ヤットレマセンガナー」と思うような課題に対しても、東大出の人たちはやり切ってしまうことでした。彼ら、何事にもパワーがあるんですね。(まあ、一方で、趣味にパワーを発揮してしまい、あまり出世してない東大出もいましたが…)
で、最後に一つ付け加えておくと、東大王の一角で、ただ一人女性の鈴木光ちゃん。クイズは私よりもダメですが、もしかしたらこの人はほんとの天才かもしれません。と言うのは、他の3人はフツーに頭のいい秀才のような顔つきなんですが、光ちゃんだけは目つきが違う。初めてこの人をテレビで見たときに思ったのは、もとハーバード大学の数学の教授でフィールズ賞(数学におけるノーベル賞と言われています)をとった広中平祐氏と同じ目をしているということでした。フツーの人にはない目の輝きです。そしてもう一人同じ目をしていたのが、私が若いころ、一緒にロッククライミングをしていた東大助手のNさん。彼は今、東北大学の教授になっていますが、彼もまた同じ目の輝きをしていました。彼は山からの帰り道、山の大きなザック5人分と人間5人が満載された彼の愛車のオンボロのブルーバードで、峠道をラリーのようにぶっ飛ばすのですが、山でぐたぐたに疲れていても、その運転のあまりの怖さに私はまったく眠ることができなかったことを今でもよく覚えています。彼の運転する車には、もう二度と乗りたくありません。
ここしばらくで一番嬉しかったことを書きます。ソフィアに中1のときから通い現在中3になったS.N.くん。プロサッカー選手を目指し、毎日18:30~21:30まで厳しい練習に励んでいます。サッカーの実力は、そのスクールで全国一らしいのですが、正直なところ、勉強のほうはずっと低迷を続けてきました。こういう言い方をしていいのかどうかわかりませんが、頭と体はサッカーで一杯で、勉強が入っていくスペースがないというか…
たとえば彼の英語の成績を追ってみると、中1の最初のテストの77点(このテストはアルファベットと簡単な単語だけで、生徒のおよそ半分以上が80点以上をとるテストです)が最高で、その後下降線をたどり、中2の秋の中間テストでは29点まで落ちてしまいました。(ソフィアに通っているのに健太郎先生の面目はまる潰れです。)
しかし、彼のお姉さんが中1の英語で30点以下しかとれず、他の個別指導からソフィアに移ってきて、中3の秋のテストでついに80点を突破した経験から、S.N.くんのお父さんは、「絶対にソフィアを辞めさせない」という方針を貫いてくれました。
そのお父さんの理解もあって、健太郎先生も厳しい指導ができ(と言っても彼はいつもニコニコ教室に通ってくれました)、底を打った英語の成績は、29→31→43→52と上昇し始め、ついに今回の中間テストでは67になりました。67点というのは決して良い成績ではありませんが、1年、2年の内容より格段に難しくなっている中3の英語で、中1の最初を除けばそれまでの最高点がとれたというのは素晴らしいことだと思います。
「うーん、もしかしたらダメかも…」と思った生徒が力を発揮してくれたときほど嬉しいことはありません。これもお父さんのソフィアへのご理解があったからこそできたことと思います。
テレビを見ていたらNHKで小学生の「なわとびかっとび」選手権全国大会というのをやっていました。二人が縄を回して、3人から5人が肩を組んで数列の小学生たちが縄を回す二人の周りを8の字に回りながら飛んでいく。決勝大会ともなると、わずか1分間になわを110回転もさせ、述べ500人以上の生徒が跳んでゆく。見ていて圧巻です。とても人間業とは思えない完成された技術の結晶です。
で、その決勝まで進んだ茨城県の小学校の先生と、毎年東大に何人も送り込んでいる縄跳び指導に熱心な桐朋高校先生が言っていたことが印象的でした。その言葉を記憶の限りで集約すると「(小学校の先生)日頃の生活態度が大切です。忘れ物をしないとか、宿題をやって来るとか、遅刻をしないとか、ちゃんと挨拶ができるとか。こういうことが、技の完成度と繋がっています。」「(桐朋高校の先生)縄跳びで高い技術を身に着ける生徒が、受験でも難関校に受かる傾向があります。それはおそらく、細部をしっかりやるとか、努力をすることと関係しているのだと思います。」
このお二人の先生のお話を聞いていて、私も思わず大きく頷いてしまいました。これまで長く生徒の指導をしてきて感じていたのは、日頃の生活態度がしっかりしているかどうかが、学力とかなり深い関係があるということでした。もし、お子さんの学力を上げようと思うなら、まずしっかりとした生活態度を身につけさせてあげることが大切と思います。
美原中のK.F.さんが、7月の期末テストで学年1位に輝きました。もともとできる生徒ですが、入会後も着実に力を積み重ね、中学入学以来初めてトップを獲得しました。おめでとう!
今年のソフィアの中3生は、例年よりちょっと少なくて10人ほどですが、その中から学年1位が出るのは、多少の自画自賛を含めて言えば、一人一人に合った学習指導を丁寧に行っているからだと思います。
勉強のことばかり書くのも飽きたので、今日は他の話題。先日、昆虫食のことが書かれている記事を見て、信州の昆虫食のことを思い出しました。健太郎先生は信州大学の卒業生なんですね。みなさんも蜂の子やイナゴを食べることを聞いたことがあるかもしれません。中には食べたことがある人もいるかな。しかし、信州人は恐ろしいことに、カイコの蛹や極めつけはザザムシまで食べるんですね。
大学に入学した年のことでした。駒草寮という新入生がそのほとんどを占める松本市にある寮に入ったのですが、ここには全学部の学生が集まっているので、松本にある人文、経済、理学、医学部以外の長野市の工学、教育学部、伊那市の農学部、上田市の繊維学部の先輩たちが各地から駆けつけてきて、週末に新入生歓迎コンパというのがありました。その繊維学部の新歓コンパの夜に、歓迎会が行われている集会室の方から、ワーッ、ギャーッという声が聞こえてくるんですね。知的な人文学部の私は、野蛮な奴らだな、いったい何をやってるんだ、と思っていたんですが、後から繊維学部の新入生に聞いてみると、コンパの際に先輩たちに抑え込まれて「カイコの蛹を食わされた」というんですね。
何ーッ、カイコのさなぎ! それこそウワァー、ギャーッの世界ですよね。聞いただけで総の毛がよだちます。でもね、これって食えない物を無理やり食わされたんじゃなくて、信州ではカイコの蛹は立派な食品なんです。「絹の華」とかいって、当時はカイコの蛹の佃煮をスーパーで売っていたりしました。今でも買えます。まずカイコの蛹を食べることが、伝統ある繊維学部の第一歩だったんですね。(あー嫌だ。繊維学部に行かなくてよかった…)
またあるとき先輩の下宿を訪ねると、信州の佐久地方出身の先輩が、「実家からイナゴを送ってきたから、イナゴを肴に(さかなに)一杯やるか」と言って取り出したのが、串刺しにされたイナゴのオニガラ焼き。ほら、みなさんも串に小さなエビがいっぱい刺さったオニガラ焼きを食べたことがあるでしょ? あれのイナゴバージョンです。私が串からイナゴを一匹はずして死ぬ気で口に放り込んでよく噛まずにごくんと飲み込むのを見て、先輩はいっぺんに何匹もがぶりとやって、「うまいなあ、酒に合うなあ」なんてこれみよがしに豪快に食べていました。(ちなみにこの先輩は、現在某国立大の教授をしています。)
その後、私も蜂の子(まあ、じ蜂のウジですね)くらいは、けっこう美味いなと思ったことがありますが、きわめつけはやはりなんといってもザザムシですね。ザザムシというのはトビケラとかの幼虫で、川の石を動かすとそこに蠢いて(うごめいて)いる黒いゲジゲジみたいな虫なんですが、これも佃煮にして食べます。って、私は食べたことはありませんが… これはカイコの蛹と同じくらいハードルが高いと思います。それが証拠に、ザザムシは信州のそれも天竜川流域の伊那地方中心にしか食べられていないようです。ただ、これも「美味い」そうで、ザザムシを採るためには漁業組合の許可がいるそうで、製品になったものはたった25グラムで1000円くらいするそうです。
とこう書いてきましたが、それぞれの虫の形を思い浮かべながら書いてきたので、なんかお腹のあたりがぞわぞわしてきたので、このあたりでキーボードを置くことにします。
本日は、みなさんが知っているようで知らない日常英語表現について。
これは健太郎先生がアメリカに留学中に実際にあったことなのですが、ある日、留学生仲間のタカシが、「健太郎、お前さ、whyとhowの意味の違いわかってる?」と聞いてきました。「そんなのわかってるに決まってるだろ!」と言い返すと、タカシが次のような話をしてくれました。
友達のブランドンが指に包帯を巻いているので、尋ねてみると、ナイフで指を切ってしまったとのこと、それでタカシが、
Why did you cut your finger?
と聞き返すと、なぜかブランドンが一瞬イラッとして、
I wanted to cut my finger!!!
と答えたそうです。で、なんでブランドンがイラついているのかと思って尋ねると、
そういうときはwhyじゃなくてhowで、
How did you cut your finger?
と聞けと言うんですね。howで聞かれたら素直に、
I was cutting vegetables. Then I carelessly cut my finger together.
と答えるよ、ということだったそうです。
つまり、この場合、whyは、相手の気持ちや考えを聞く言葉で、どのようにしてそれが起こったのかという事態を聞くのがhowということなんですね。
皆さん、参考になりましたか?
高校入試が終わった後もソフィアに通い続け、現在高校3年生のAYさん。先日受けた第3回、河合塾の全統記述模試の結果を持って健太郎先生のところにやってきました。
なんと英語の偏差値が72.2、全国300771人中4101位、所沢北高校内213人中1位でした。
下に書いた別の県立高校のAさんに続き、「高校に行ったら1教科ぜったいに他の人に負けないものを作ろう!」という目標をついに達成してくれました。学校の授業との相乗効果を狙ったソフィアの学習計画が続々と成果を生んでいます。
現在高校3年生で中3のときからソフィアに通うAさん。県立の中堅校に進学した後も続けて通ってくれました。ぎりぎりの成績での入学だったので、正直なところはじめは定期試験での成績は揮いませんでした。そこで本人との話し合いで、英語でクラス一番を目指そうという目標を立ててこれまで取り組んできました。そして高校3年の秋を迎えた先日のテストの後、授業の際にAさんが小さな声でぼそりと「先生、クラスで1番になりました」と報告してくれました。
長い戦いでしたが、3年間を掛けてついに目標を達成したAさん。こちらも胸が熱くなりました。
中1最後の期末テストで数学が70点台しかとれず、数学に苦手意識を持っていたAさん、お母さんの勧めでソフィアに春から入会しました。その後、順調に数学の成績が伸びてゆき、今回のテストでは92点となり、5教科の合計でこれまでで最高の学年3位をとりました。すごく嬉しそうな顔をみて、こちらも嬉しくなりました。
中学3年生のMさん。中2の3月に受験を考えて入会してきました。正直なところ、中2の3月の定期テストで数学が20点、英語が25点というのは危機的な状況です。しかし、春期講習で1・2年の復習を徹底的に行い、中3になってからは学校の速度に合わせた学習を行った結果、上記のような成果が得られました。真面目にこつこつやる性格が、成功の秘訣かなと思います。
中1の3月に入会したAさん。数学が30点しかとれなかったということで、お母さんに勧められての入会でした。正直なところ、あまり自分では乗り気ではなさそうだったAさんですが、始めてみると遅刻や欠席もなく坦々と学習し、テスト前1週間からは毎日のように自習に通ってくれて、5月のテストを終えてみると、数学は驚きの80点。やればできるってこのことですよね。
母校から依頼があり、現代職業論という枠組みで講師を務めることになりました。
左の写真は、信州大学から浅間温泉を抜け美ヶ原に向かって少し上がったところにある美鈴湖からの風景です。左の端の山が常念岳(2857m)。美しいピラミッド型の山は、信州大学の学生にとっては、シンボルのような存在です。今でもこの山を見るたびに清冽な気持ちに満たされます。
さてさて、私の職業論が後輩たちにほんとに役に立てば良いのですが…
本日、来年高校受験する中学3年生とその保護者の方に来ていただいて、高校受験説明会を実施しました。内容はおよそ以下の通りです。
1)昨年度と今年の実績
2)県立・私立の問題の特徴
3)学習上のポイント
4)受験の上で知っておくべきこと
5)受かる生徒と受からない生徒の違い
6)なぜ勉強をするのか
聞いたことのすべてを実行するのは難しいですが、半分でも守ってくれればこれからの1年間でかなり力を伸ばすことができます。これまでとは気持ちを入れ替えて効率の良い学習を実践してください。
実はこれはずっと昔から疑問に思っていることなのですが、中学校の部活動ってどうしてこんなに躍起になってやるのでしょうか? 生徒の中には部活が生活の基準になってしまって、時間的にも体力的にもほとんど部活にエネルギーを削がれてしまって勉強がかなり疎かになっている人がいます。週日だけでなく、土日も部活があって、休みは水曜だけという人がかなりいます。
ソフィアでは8割方の生徒がちゃんと宿題に取り組んで来てくれるのですが、残りのそれができていない生徒の言い訳は、「部活(あるいはスポーツクラブ)が忙しいから」ということになっています。そしてはっきりしていることは、宿題をちゃんとこなしていない生徒の成績は芳しくないということです。
その一方で、部活をしながらも勉強もしっかりこなしてくれている生徒も大勢いますが、私が問いかけたいのは、勉強に明らかに支障が出ているのに部活やスポーツクラブに没頭する必要があるのかということです。ご家庭の方針でそうなっているのなら、それは仕方のないことなのですが、なんとなく学校社会では、部活をやらずば人に非ず、などという雰囲気が蔓延しているのではないでしょうか。
私は部活は週3日やれば十分と思うのですが、皆さんはどう思われますか?
みなさんは京都大学から初めてプロ野球入りした田中英祐投手のことをご存知ですか?その田中選手が毎日新聞のウェブ版(2014.12.1)で自らの学習法について語っている記事に、みなさんにも参考になる内容がありましたので、引用させていただきます。
①「引退までは基礎勉強しかしていませんでした。学校からもそれでいいといわれ、学校のプリントや一通り網羅した基礎的な参考書、問題集などを解いていました。」
②「暗記は得意やと思います。コツはアウトプット。赤いシートとペンで単語を隠しながら、文章の流れで空白を言えるようにしたり、通学路で自転車をこぎながら全部流れで言ってみる。日本史なら「何年になに、その後になにがあって」というふうに。覚えたことを思い出す作業の方をちゃんとやっていた気がします。」
①について。みなさんもご存じのようにソフィアでは基礎学習を徹底的にやります。基礎がちゃんとできていないのに難しいことをやろうとしても無理なことは誰にでもわかるはずです。しかし、この基礎を作るという作業は地道なもので、ある一定以上の分量を繰り返し練習するほかはありません。京都大学に合格するような人たちですらこうした基礎的な学習を重視していることをぜひ知っておいて欲しいと思います。
②田中選手は、暗記は得意だと思うと自ら言っています。そして、その重要なポイントとして上げているのがアウトプット、つまり「思い出す」練習をすることだと言っています。さすが勉強のできる人は暗記のこつがわかっていますね。
暗記が苦手な生徒の多くは、暗記の仕方を間違っています。たとえば英語の単語や歴史のできごとを何度か見て覚えたと勘違いをしているのです。数学の文章題の解き方も同じです。大切なのは、本当に覚えたのかどうか、思い出してみることなんです。
英語の単語であれば、カードに表は英語、裏は日本語を書き、どちらか一方ではなく、必ず英語から日本語、日本語から英語という双方向からのアウトプットをしてみること。
歴史であれば、たとえば奈良時代の出来事、人物、年代をノートに一面に書きあげてみること。
数学なら、解っているはずの文章題を、まったく一から解き直してみること。
この基本の動作が身に付いているかどうかで、長い間に大きな学力差がつきます。これからでも遅くありません。みなさんもそうした学習の仕方を工夫してみてください。
この夏に、イギリスとニュージーランドにホームステイをしてきたSさんとAさんに、その報告をしてもらいました。二人は小6のときから高1の現在までずっとソフィアに通っている生徒です。
和光国際英語科のSさんは、学校主催のホームステイをイギリスで体験してきました。昼間の授業での1クラスは12~15名前後で、自分の学校からの生徒の中に、現地の生徒が加わるという形式だったとのこと。
所沢北のAさんは、ニュージーランドで、昼間の授業は、現地の高校の現地の生徒ばかりのところに日本人が加わるという形で行われたそうです。数学の授業以外はかなり苦しかったようです。
ホームステイを終えての二人の実感は、とにかく単語をもっと覚えよう、何でもいいから英語で話そう、また行きたい、といったことだそうです。
ソフィアではホームステイや海外への大学への留学の相談も受け付けています。
Mさんが高校からの指定校推薦で成城大学に合格しました。Mさんは中学3年のときからソフィアに通い始め、県立高校に合格してからも、ずっとソフィアに通い続けました。
今回の指定校推薦での合格を獲得できた最も大きな要因の一つは、Mさんは文系であるにもかかわらず、高校2年生までは数学の学習を続け、また定期テスト前には物理や化学のテスト対策も行ったことです。有名校への推薦は、評定平均で3.8~4.2(5段階評価)という高いレベルが必要とされますが、普通は文系の多くの生徒が英語や国語が得意でも、理系科目を捨ててしまうために、全科目平均での高い数値をクリアできなくなってしまいます。
皆さんも指定校推薦を狙うなら、文系でも理系科目、理系でも文系科目を高校1年のときから頑張っておきましょう!
もう少し早く書けばよかったのですが、夏期講習の忙しさの中で、ついついさぼりがちになってしまいました。
前回報告したRくんですが、北辰の第1~3回まで連続で、5教科偏差値70以上を実現しました。Rくんは中1のときからソフィアに来ているのですが、2年生のときまでは偏差値70越えをしたことがなかったのが、ここへ来てこれまでに蓄積されてきた力が発揮されたのに違いありません。
先日、北辰テスト3年第1回の成績優秀者リストが届きました。その中で中学1年のときから通っているRくんが、3教科、5教科とも偏差値70超えを達成し、名前が載りました。席次は32195人中625番。これまでの努力が実った結果です。来年の受験が楽しみになってきました。
最近入会した生徒で、入会後すぐ(2~4か月)の定期テストで成果を修めた生徒たちを紹介します。
①S君中2。英語のみ学習。中1の終わりに入会。3ヶ月で44点が79点に。
②Yさん中2。数学のみ学習。入会3ヶ月で49点が77点に。
③Hくん中2。英語と数学を学習。入会3ヶ月で、英語が50点から69点に。数学が55点から68点に。
この3人はほぼ同時期入会で、少人数制のソフィアでは同じ時期に入会した生徒は他にはいませんから、100%成果が出たといえます。25年の経験を持つ学院長が一人一人に学習計画をたてるので、こうしたことが可能となります。
そうそう、それともう一人、
④中3Rくん。中1のときからソフィアに通うRくんは、前回の北辰テストで5教科偏差値70.8を達成しました。これまで3教科で70を超えたことがありましたが、5教科で超えたのは初めてです。よく頑張ってくれました。
4月20日(日)に高校受験説明会を行います。保護者と生徒本人に出席してもらい、今年の受験結果の報告、受験に向かっての年間スケジュール、学習上の注意事項等を説明します。「試験に受かる生徒と受からない生徒」の特長なども話し、これから受験に向かう本人たちの自覚を高めてもらいます。その他「カントの哲学から見た『何のために勉強するのか』」等、盛り沢山の内容ですので、ぜひご参加ください。
今年の高校受験の結果を簡単にまとめてみました。ソフィアは少人数制なので、数こそ大したことはありませんが、ほぼ全員が志望校に合格することができました。しかも、県立・私立とも不合格者はO人。私立では何人かが確約をもらうことができず、一般受験をしましたが、無事全員合格。みんなよくやってくれました。
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表の見方:所沢北(2・2)⇒合格2人・進学2人 |
県立合格・進学 (不合格0人) |
所沢北(2・2)、所沢(1・1)、所沢西(2・2)、所沢中央(3・3) 和光国際英語科(1・1)、入間向陽(1・1)、狭山清陵(1・1) |
私立合格・進学 (不合格0人) |
狭山ヶ丘Ⅱ類(2・0)、Ⅲ類(2・1確約なし)、西武台(3・3)、東野(1・1)、日大二(1・1)、日大豊山(1・1確約なし)、拓大一(1・0)、大東文化大(1・0)、東京電機大(1・0)山村学園(2・0)、星野(1・1)、秋草学園(3・0)、浦和学院(1・0) |
夏前からソフィアに通い始めたYさん、入会前は模試でC判定だった国立看護大学に見事に合格しました。本人の希望は英語学習のみだったのですが、模試などの資料から、秋口には数学や古文の弱点強化の授業を行い、入会前は53.7だった偏差値が、最後の模試では64.3になりました。
経験豊富な学院長が、一人一人の学習状況を見ながらアドバイスと対策を行う個別指導だから、受験生に適切な道筋を示すことができます。
勉強とは関係ない話ですが、教室にNTTのWi-Fiのルーターを設置しました。ドコモだけでなく、ソフトバンクもKDDIもつながるそうです。
これで、理科で「偏西風」ってどんな原理で吹くんだっけ、なんてことをスマホで調べやすくなるかもしれません。
中学生の定期テストの結果がほぼ出そろいました。成績の上下は、全体の平均点の上下や偏差値などを見ないと正確なことは言えないのですが、生徒たちが通常の授業や夏期講習で選択した教科をざっくりと見渡すと、およそ7~8割の教科で成績アップか現状維持と言えると思います。
常に90点以上得点している上位層に、あまり上下の変化が見られない傾向があり、中間層での成績アップが目立ちます。
所沢中の2年生の数学では、生徒からの聞き取りでは学年平均が70点から48点まで大幅にダウンし、何人かの生徒が得点の上では下がりましたが、その下がり幅は平均点の22点ダウンより全員少なかったので、結論としては成績アップに思えます。
5教科ともアップした生徒も全体の2割ほどいて、みんなが夏休みによく頑張ってくれた成果が表れていると思います。
夏期講習の成果が圧倒的に表れました。夏期講習に参加した生徒で9月1日の北辰第4回の模試を受けた中学3年生のデータが手元に届いたのですが、5教科または3教科で3年の第1~4回までの模試でこれまでの最高偏差値を、12人中9人の生徒が実現しました。その割合は75%です。
ちょっと自慢したくなるのですが、この数字ってすごくないですか。だって、これまでも成績を上げてきた生徒が多い中で、更に上乗せして75%もの生徒が最高偏差値をとったのですから。
しかも、ソフィアでは特別な北辰対策は行っていません。夏期の中心的な学習は、各教科の基礎固めでした。ソフィアでは、目先のテストで一時的な得点を確保するよりも、本当の意味での学力をつけるために、基礎力養成を重視しています。
みんな夏休みによく頑張ったね!
大学受験って、どうやって取り組めばいいの?
みなさんそんな疑問を抱えていませんか? そんな人たちのために、ソフィアの講師たちが、自分自身の受験経験を語る機会をもうけました。
成功した例、失敗した例、講師たちの本音が飛び出すに違いありません。そこからみなさんが何かのヒントを得てくれることを期待しています。
日時:7月13日(土) 午後2時~3時半
場所:ソフィア学習館 教室
参加資格:どなたでも(高校1~3年、浪人生、保護者の方もOK)
※参加希望の方は、教室までお気軽にお電話ください。
講師:小川先生(早大理工)、高栁先生(成蹊文)、藤井本先生(早大教育)
5月25日(土)20:00-21:30 の予定で、優香ちゃん先生留学記を開催します。
優香ちゃん先生は、もとはソフィアの生徒でした。高校3年のときに来て、受験して私立の大学の外国語学部に進学しました。その後、大学からイギリスに8か月ほど留学を経験し、この3月に帰国したので、4月からソフィアで講師をしてもらっています。
今回は、生徒たちの英語の学習意欲を高め、また将来的には自分も留学してみたいという意欲をもってもらえたらと思い、優香ちゃん先生に留学体験談を話してもらうことにしました。
どなたでも参加いただけるので、お気軽にお問い合わせください。
5月9日
4月末、H24年度(今年)の県立入学試験の平均点が発表になりました。
国語 数学 英語 社会 理科 合計
H25年度 65.6 42.4 53.7 50.3 63.4 275.5
H24年度 59.7 36.5 44.1 49.0 48.7 237.9
H23年度 52.7 40.4 47.4 57.5 45.2 243.2
今年は数学の平均点下降にやっと歯止めがかかりました。H24年度よりはやや易しかったので40点前後ではないかと予想していたのですが、その通りになりました。すべての教科で平均点が上昇しているところをみると、昨年までは問題を難しくし過ぎたとの反省があったものと思われます。特に、理科での点数の伸びが目立ちますが、H25の問題は、単なる暗記ではなく、理科的な思考を試す問題が増えたので、理科的な考え方ができる生徒には点数が撮り易かったのではないでしょうか。
ただ、60点を超えてしまった教科に関しては、来年は少し難しくなるのではないかと思われます。
またまた嬉しい連絡が入りました。高校2年の夏前から来ていたSくんが、受験が終わりましたと電話を掛けてきて、国立の東京農工大学工学部、上智大学理工学部ほかに合格したことを伝えてくれました。進学は、農工大にするそうです。もともとけっこうできた生徒なので、ある意味、順当な合格であったと思いますが、道はそれほど滑らかなものでもありませんでした。よくやったと思います。
この話にはおまけがあります。以前Sくんに、国立か六大学レベルに合格したら、ソフィアで講師をやるんだね、と話をしていたのですが、どうもその話が現実になりそうです。ソフィア出身の講師は、自分が生徒だった経験から、生徒がどうして欲しいのかが良くわかるので、皆評判がいいんですね。
どんどんこうした先輩を増やしていきたいと思います。
嬉しいニュースが飛び込んできました。高校3年生のAくんが、芝浦工大の建築科と建築工学科に現役合格しました。
Aくんがソフィアに来たのは昨年の夏のこと。それまでの模試では、志望校はみんなE判定で、合格には遠く及びませんでした。そこで、本人と相談の上で健太郎先生がたてた作戦は、
1)志望校を明確にする
2)受験に使う科目をはっきり決める
3)基本的な入試問題から入り、発見された弱点を強化する
4)本格的な入試問題の演習期間をできるだけ長く確保する
というものでした。
この計画の下に、志望校をはっきりさせ、科目は数学、物理、英語に絞り、基本的な演習を終えた後、夏休みからセンター試験の過去問の学習を初め、発見された弱点を参考書と問題集からの演習で克服していきました。
10月からは志望校の過去入試問題の演習に入り、弱点は同様に参考書と問題集の演習で強化していった結果、12月の模試では芝浦工大に初めてB判定が灯りました。
更に過去問演習を進め、冬期には授業を増やし、ラストスパートを掛けてもらいました。健太郎先生がいつも与えていたアドバイスは、解けずに教えてもらった問題は、家に帰ったら必ず一から解き直してみること、また、人間は一度やったことでも忘れてしまうので、受験直前には、過去問でできなかったところを必ず復習しておくことでした。
Aくんも指示に従いよく頑張ってくれました。それに、指導をしてくれたソフィアの先生たちの何人かは、Aくんの志望校の受験の経験があったので、そのことも大変有利に働いたと思います。
Aくん、よくやったね。合格おめでとう!
昨年の夏休みに入会した中3のTくんの北辰テストの数学の偏差値の推移を追ってみましょう。
第4回(9月2日) 56
第5回(10月7日) 56
第6回(11月4日) 62
第7回(12月9日) 69
一般的に、中学生がしっかりと勉強をした場合、その成果が表れてくるまでに3ヶ月程度かかります。Tくんの場合がこの典型で、8、9、10月と数学を週2回のペースでみっちりと勉強した結果、11月4日のテストで成果が表れ始め、12月9日のテストでは、偏差値は69に達しました。
ソフィアでは、一人一人の生徒のその時点での学力を見て、健太郎先生が個別の学習計画を立てますが、Tくんの場合、夏休みの間は1・2年の範囲の総復習と、3年の7月までの範囲の復習、9月からは学校の授業の先取り学習をしていきました。生徒一人一人に合わせた合理的な学習のレールをいかにうまく敷くことができるかが、個別指導の指導者の経験を背景とした腕の見せ所です。
フランチャイズ塾の付け焼刃の指導者と、本物の指導者の違いです。
Mさんがソフィアにやってきたのは中学2年の初め頃。定期テストで英語は40点くらいの成績でした。あまり要領はいいほうではありませんでしたが、授業をほとんど休むこともなくマイペースでこつこつこつこつ積み重ねて行きました。
しばらくして一旦80点を超えて、これで一気にいくかと思いきや、その後は下がったり上がったりのシーソーゲーム。いよいよ中3の11月を迎えて、勝負の中間テスト。ここで内申が1点上がると、私立の志望校の確約がもらえるという、本当の大勝負でした。
結果は中学に入ってから英語では初めて90点を超え、3年になってからは右上がりに上がってきたことを認められてついに5をもらうことができました。入会から1年半後の大きな成果でした。本人の顔には、何かをやり遂げたような充実感が漂っていたように思えるのは、私の気のせいでしょうか。
生徒もあまり気が付いていないんですが、ソフィアには合格神社があります。ご神体は合格のお守りなんですね。慶応大学の文学部に合格したあすかちゃんが、生徒たちのために心を込めて作ってくれた秘密のご神体が、この小さな神社の中にはお祀りされています。脇に立っているのは石田のみつにゃん。石田三成は、筆をとらせると右に出る者がいなかったといわれているので、勉強の神様の護衛になってもらいました。左手(足?)に筆を持っているでしょう?
さあ、みんなもソフィアの合格神社にお参りして合格じゃ!
多くの中学で中間テストが終わり、その結果も出そろいました。平均点がはっきりしないと正確にはわかりませんが、全体としては8割方の生徒の成績が前回より上がっているようです。
中1の初めから入会し、ついに学年1番になった中2のAさんや、夏前まで他の個別指導塾に長く通っていたけれど、あまり成果が出なかった中2の別のAさんは、夏期講習でソフィアの健太郎先生オリジナル編集の教材で、1年の範囲からの総復習をしてテストに臨んだところ、それまで70点前後だった英語が一気に93点まで上がり、これまでの最高点をとることができました。
その他にも、大幅に得点が上がったり、小幅ではあるけれど入会以来じりじりと上がっている生徒など、まずまずの成果であったと思います。
夏休みも終わり、9月からの授業も始まったかと思うと、多くの学校で定期テストに突入しました。これまでに帰ってきたテストの点数を見ていると、夏期講習の成果が出ている生徒が多いようです。暑い夏、一生懸命学習に取り組んだ成果が実るとき、努力と成果の関係が実感として理解できるのではないでしょうか。
どのくらい努力をすれば、どのくらいの成果が出るのか。それを体で覚えて欲しいと思います。
いよいよ暑い夏が始まります。40日間の夏休みは、遊びの上でも勉強の上でも大切な時期です。
受験生にとっては、この夏の40日間が勝敗を決すると言っても過言ではありません。学校の勉強から解放される40日の間に、毎日10時間勉強したらどうなるでしょうか?これまでの遅れなんかは吹っ飛ばして、他の人たちに圧倒的な差をつけることが可能です。この40日を利用するのもしないのも、あなた次第の判断です。
その他の生徒にとっても、やはり大事な40日です。大いに遊ぶ傍ら、勉強が遅れてしまった人は、4月~7月の内容を復習したり、学校の内容がわかっている人は、9月からの授業を先取りして学習しておけば、その後の学校生活を余裕をもって過ごすことができます。遊んでも更に時間の余裕のあるこの夏に、少し勉強してみるのはいかがでしょうか。
5月16日
4月末、H24年度(今年)の県立入学試験の平均点が発表になりました。
国語 数学 英語 社会 理科
H24年度 59.7 36.5 44.1 49.0 48.7
H23年度 52.7 40.4 47.4 57.5 45.2
今回は、特に平均点が低かった数学について一言。
入試が終わった当初、北辰本部は数学について、例年並みか、やや易しいと評し、ある塾もネット上で、50点くらいか、との予想をしていました。しかし、健太郎先生は、一見易しく見えるが、県立入試ではこれまでにあまり出されたことのない、新しい解き方が必要とされているので、例年より平均は低くなると予想しました。大人の論理能力では易しい応用でも、子供にとってはけっこう大きな壁となります。
みんなが、例年並みか易しいくらいと評価する中で、一人で「難しかった」と主張するのは勇気のいることですが、今回は健太郎先生の長年の勘が当たりました。
3月24日、中学3年生を中心に卒業パーティーをしました。ソフィアで学習をした証書(ドイツ語です)と、記念品を贈呈。
その場でのアンケートでは、約7割の生徒が第一志望に合格したとのこと。また、全員が、塾を探している人にはソフィアを紹介したいとのことでした。(まさか健太郎先生の前じゃ、紹介したくないなんて言えないもんね。)
昨日、Wくんがお父さんと一緒に合格報告にきてくれました。
Wくんは中学2年の途中から通い始め、2年のうちに英検準2級に合格した優秀な生徒。ただ、数学が今ひとつで、ソフィアに来てからもやや伸び悩んでいました。
そこで、中学3年生になると同時に、数学も英語も学校の先取り学習を初め、8月末までに学校の内容を終了するカリキュラムをたて、9月からは徐々に基礎的な受験問題から、上位・難関校の過去入試問題へと進めていきました。
秋からは数学を週2回に増やし、その結果、北辰テストの偏差値は、
第4回⇒60、 第5回⇒62、 第6回⇒67、 第7回⇒68
と順調に伸びていき、無事M高校に合格。
受験を終えた現在は、高校の英語学習に取り組んでいます。